こんにちは。ゆきと申します(^^♪
今日は、映画『クレイマー、クレイマー』を観た感想をお話したいと思います。
これから観ようと思っている方、ネタバレ注意ですm(_ _)m
『クレイマー、クレイマー』について
この作品は、1979年にアメリカで公開されました。
エイヴリー・コーマンの小説が原作となっています。
原題は『Kramer vs. Kramer』、つまり「クレイマーさんとクレイマーさんの戦い」ということで、当時のアメリカで社会問題になっていた離婚・親権問題をテーマにした映画です。
1980年の第52回アカデミー賞で、「作品賞」「監督賞」「脚色賞」「主演男優賞」「助演女優賞」を受賞した、映画評論家からも評価の高い作品です(Wikipediaより)。
主人公のテッド・クレイマーを演じているのはダスティン・ホフマンさん。
『新しい人生のはじめかた』に出演されていたり、『カンフー・パンダ2』で声優をされています。
そして奥さんのジョアンナ・クレイマーを演じているのがメリル・ストリープさん。
主演の『マディソン郡の橋』や、『プラダを着た悪魔』『マンマ・ミーア!』、ディズニーが実写映画化した『イントゥ・ザ・ウッズ』などに出演されています。
そしてクレイマー夫妻の一人息子、ビリー・クレイマーを演じたのがジャスティン・ヘンリーさん。
あまりお名前を存じ上げないのですこし調べてみたところ、初めて演技をしたこの作品で、アカデミー賞助演男優賞に史上最年少でノミネートされた子役さんだったそうです。
今もテレビドラマなどに出演されていますが俳優業はどちらかというと副業のようなもので、本業のほうで成功しているビジネスマンだそうですよ。
『クレイマー、クレイマー』あらすじ
家族のために仕事熱心なテッドと、仕事がしたくても夫に理解してもらえず家事育児に追いつめられるジョアンナの、幼い息子ビリーをめぐる離婚・親権裁判のおはなしです。
ある日テッドは、仕事での大きな成功と昇格を約束されたよろこびを家族と分かちあおうと、意気揚々と自宅に帰ってきます。
そこに待ち受けていたのは、ジョアンナからの「家を出ます」でした。
取りつく島もなく、そのままビリーをおいて本当に家を出ていってしまうジョアンナ。
とまどいの中、急に始まった父子の生活。
テッドとビリーは失敗やケンカをしながらもだんだんと絆を深め、なんとか2人での暮らしを確立させていきます。
そんな折、それまで連絡のなかったジョアンナが突然あらわれ
「生活の基盤をととのえた。親権がほしい」
と、申し出て……。
というあらすじです
『クレイマー、クレイマー』の 全体的な感想
結末に触れないように感想をお話するつもりですが、なんとなくわかってしまったらすみません(^^;
テッドの気持ちもジョアンナの気持ちも、ビリーの気持ちもわかる!!という感じで、ほんとうに正解がない問題だなと改めて感じました。
子どもにとっていちばん良いのは両親がまた一緒に暮らすことなんでしょうけど、親だって1人の人間で感情と人権がありますからそうカンタンにはいかないですよね。
「子どもをほんとうに愛しているなら、自分を押し殺してでも一緒に暮らすべきだ」という考え方もあると思いますが、ガマンして数年後、精神的に耐えられず心の病を発症してしまったら?
それが、守りたかったはずの子どもへの虐待につながってしまったら?
すべては結果論で、この後のビリーと両親それぞれの人生がどういうものになるのかで、きっと正解は変わってくるんだろうなと思います。
少なくともビリーには、テッドからもジョアンナからもとても愛されているんだということを忘れないでいてほしいなと思います
フレンチトーストのシーンが好きなのですが、なんというか、「本当に家のことなにもしてこなかったんだなぁ」とあきれてしまうくらいひどいです(笑)
仕事はできても卵があふれることは予測できないのね……もしくは別にそれでもいいと思っているのか……。
ただ、持ち手まで鉄製のフライパンを思わず素手でさわってしまうところは身におぼえがあります(^^;
私はたまに、持ち手までステンレス製のトングをついお鍋の中に置きっぱなしにして、おなじことをやります……
印象にのこったのは、冒頭で家を出ていくジョアンナが乗りこんだエレベーターの扉が閉まっていくのを見つめるテッドのシーンと、最後の「ビリーと2人で話してこいよ」と部屋へ上がっていくエレベーターの中のジョアンナを見つめるテッドのシーンの対比です。
ちなみにこのシーン、原作の小説ではジョアンナとテッドが電話で話すところで終わっているんだそう
視覚で印象にのこせる映像作品だからこその対比シーンなのかなと思い、印象にのこりました
今後の3人の生活がどうであれ、きっとこの最後のマンションロビーでのやりとりはテッドとジョアンナの心に一生残るんだろうなと思います。
それから、テーマ曲がマンドリンの音がたのしく耳に残りやすいメロディだったので調べてみたところ、ヴィヴァルディの『マンドリン協奏曲・ハ長調』とのことでした。
有名な曲でCMなどにも使われているそうですね。
全然気づきませんでした。
このあかるい曲のおかげもあるのか、重めなテーマの映画ですが全編を通してそこまで重苦しくない雰囲気でたのしめました。
ジョアンナは「悪い」お母さんなのか?
結末には触れないように書いているつもりですが、なんとなくわかってしまったらすみません。
この記事を書くにあたって『クレイマー、クレイマー』についてすこし調べたのですが、「一度は子どもを置いていったのに、あとから『親権がほしい』という身勝手なジョアンナに嫌悪感」という感想がけっこう見受けられて、すこしおどろきました。
私はどちらかというと、真っ赤な目で「家を出る」というジョアンナに「なにがイヤだったの?あやまるから許してよ」と笑ってこたえるテッドのほうがちょっと嫌です(笑)
たしかにジョアンナはビリーを置いて家を出ていきます。
だけどそれは、「仕事も持っていない、家庭を守れない自分が今ビリーを連れ出しても一緒に暮らしていくのはむずかしい」と考えたからだと思います。
今の自分ではビリーを幸せ(ジョアンナ視点で、ですが)にはできない、愛しているからこそ連れていけないという、相当な覚悟のうえでの行動です。
精神医にかかるほどに限界に近づいていたジョアンナの心では、もうこうするのが最良の選択だったのだと思います。
そして、きちんと心の病を治して、ビリーと暮らしていけるくらいの年収をもらえる仕事も手に入れた。
ひとりの人間として自立して自信も取りもどし、今ならビリーを引き取ってもきちんと生活していけると確信したから、あとになってでも親権をほしがった。
ラストには、ビリーを愛しているからこその苦悩と対峙します。
私にはこれのどこが「悪い」母親なのかわかりません。
すべては愛する息子のための言動なんだと私には感じられます。
もちろんテッドも愛する家族のために仕事に精を出していたのでしょうし、ジョアンナが出ていったあとは試行錯誤しながらビリーとの2人の生活を築きます。
家庭と仕事の両立がむずかしくても不利な裁判だとわかっていても、絶対にビリーの親権をあきらめるような選択は取りません。
テッドとジョアンナのどちらが悪いという話ではなく、どちらも家庭と自分を大事にしたいあまりにすれ違ってしまった悲しいお話だと思います。
親権争いが起こらないほうが、ビリーにとっては不幸なことかもしれません
そもそも離婚するような事態にならないこと、いちどは気持ちが離れてもよりを戻すことができればみんな幸せになれるのに……と思いますが、それはやっぱり作り話だからできること。
実際はこの作品のように子どもを愛するあまりの苦悩にあふれたり、それすら起きなかったりするんだろうなと観終わってからも考えさせられる作品でした。
おわりに:みんなそれぞれ幸せになってほしい
母親の家庭以外での居場所や、特に男性は子どもより仕事が優先される風潮、母親有利の親権裁判など当時だけでなく今でも社会問題になっているテーマで、興味深く観られました。
あと、メリル・ストリープさんが今も昔もおキレイで思わずみとれました!
メリル・ストリープさんが鬼上司のミランダ役を演じられている『プラダを着た悪魔』(2006年)も好きなのですが、ジョアンナがこのあと実は再婚して、仕事でも地位を確立して、ミランダとして鬼上司(実際離婚歴あり、でも子どもには甘いんです)になったと考えるとちょっとおもしろいです。
またなにか心にのこる作品があったら、感想をお話しようと思います。
ε=(ノФωФ)ノ それではっ!>~~> #( ゚<
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